彼岸から見た景色

思ったことを適当に描いてみるエッセイ

成人

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今年で私は32歳になるわけだが、最近ようやく「大人になったな」と思えるようになった。

私は昔から思春期特有みたいなウジウジした性分とずっと付き合ってきて、社会に出ても結婚をしても、子供が産まれても気持ち的には大人になれていない実感があった。

それは、幼いころからいじめられっ子若しくは嫌われ者だったからか、私から好きになった子とは付き合うことなく結婚したからか(妻との結婚は彼女からのアプローチだった)、親の言いなりで人生の重要な選択をしてきたからか、両親が半ば毒親だったからか。

とまぁ、未だにないものねだりのウジウジした感情を出してしまうほどには、この呪いのような性分が出てしまうのだが、それでも最近になって、ようやくこういうものとある程度折り合いを付けられるようになったのだ。

 

キッカケは初恋の子の妊娠報告だった。

彼女は私と同時期に結婚をしていたが環境や子供に恵まれなかったようで、つい最近になって子を授かれたそうだった。

彼女とは今でも同級生同士で遊ぶくらいの間柄であって、私は今でも友人以上の感情を多少に持っており、自身のノスタルジックに浸るナルシズムと折り合いをつけられずにいたのだが、彼女の懐妊と共にそうした諸々な幼さと強制的にお別れすることになった。

安定期に入ったとはいえ、出産後も子供の夜泣きが収まるまでは中々遊ぶこともできないだろうし、せめての気持ちとして妻と一緒に出産グッズを選んでプレゼントした。

 

あれから、憑き物が落ちたように視界がクリアになった。

足りない何かを探しているような感覚や、何かを成し遂げなきゃいけない焦燥感がスッと消え、新しいものへの期待で胸がいっぱいになった。

幼いころから彼女に憧れていた感情はさほど報われはしなかったが、妊娠をして幸せそうな顔を見れただけで、友人としての自分が救われたような気がした。

もうノスタルジックな風景に胸を痛めることもない。「秒速5センチメートル」を見て死にたくなることもない。

私の幼さはようやく供養され、成仏したのだ。

 

最近Twitterで見た投稿に「30歳成人説」のくだりがあった。

30歳成人説(30さい せいじんせつ)とは日本の民法が成年を満20歳と定めているのに対し、「精神年齢でいけば今の30歳は、昔の20歳くらいにあたる」という考え方のことである。引用:30歳成人説 - Wikipedia

作家の村上春樹が唱えたらしいこの言葉は今の私にとてもしっくりきた。

いや、私はもうすぐ32歳になるのでちょっと遅れ気味の成人ではあったのだが、未だに自身の心理学的ネオテニーと向き合えてない同年代がいる中で、「大人になれた」という実感は、十分満足に値するものだろうと思っている。

ちょうど今仕事の方も転換期を迎えているし、勉強していた資格勉強もある程度目途がついたり、新しい気持ちのスタートをするにも最高の心境となった。

 

一時期は死ぬことばかり考えていた私だが、当時はここまで前向きになれるとは思わなかった。

今も将来に対する不安がないわけではないが、今のところはなんとか気持ちよく死にきることができそうではある。

残りの人生あと何年あるか分からないが、暇を潰すことなく、後悔することなく暮らしていければと願う。