彼岸から見た景色

思ったことを適当に描いてみるエッセイ

ド田舎は申し訳ないほど平和で

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新型コロナウィルスの収束はまだまだしばらくかかりそうだ。

日本全体のデータを見てみると、7月下旬からは感染者数が増加傾向となり、それに伴って8月に入ってからは重傷者や死者数も微増しているようだ。

テレビでは不安を煽るかのように感染者数で数字遊びをしているのだ。と斜に構えて成り行きを見ていたが、それほど恣意的な報道ではないのかもしれない。

コロナウィルスの毒性が弱まっているというウワサもあって、さほど感染を恐れる必要はないというtweetを見たこともあったが、やはり海外では依然と恐ろしいほどの死者数が出ているし、いずれにせよマスクを外すわけにはいかないのではと思う。

 

そんなコロナ禍の現代ではあるが、ド田舎の山奥は申し訳ないほどコロナの影響が少ない。

お盆では青森市内の親戚がマスク無しで実家に来ていたし、それを咎めるような切迫した空気感もなかった。

今年はねぶた祭りが中止になるなどの大きな事件もあったが、むしろド田舎に住む私には、町村の下らない祭りと準備が無くなるだけでお釣りが返ってくる。

そもそも友達が多い奴らは祭りがなくても友達同士で山へキャンプに行っているようだし、私のような陰キャ勢は祭りや花火大会がなくてもさほど生活に支障はなかったりする。

 

ちょっと視野を広めても、地元のホテルや居酒屋などは大ダメージを受けているらしいが、私は県内のホテルにプライベートで泊まったことはないし、居酒屋やスナックは飲酒運転の取り締まりが厳しくなった頃からすでに需要は薄くなっていて、お酒好きの私も年に数回仕事で利用する程度だったから、経営が傾くのはコロナ禍の影響だけではなかったようにも思う。

平時の観光客が減ったのはともかく、お祭りがないだけで経営が傾くなら、元々青森にはその程度の魅力しかなかったのではないだろうか。

そして、こんな状況でも温泉施設とラブホテルは盛況らしい。

コロナ禍でとは一言で言っても、時代の流れや需要供給の変化なのではないかと思わざるを得ない。

とはいえ失業した人達はそうそう納得できないだろうが。

 

性格が悪いのは百も承知だが、需要がないものが淘汰されるのは、無関係でいられる私にとっては嬉しい面もある。

例えば私は冠婚葬祭に数百万円もかけるのをバカバカしいと思っているので、基本的に結婚式には興味がないし、通夜や葬式も立派なホールを借りずとも故人へは祈れるだろうとか思ってしまう。

結婚式の取りやめは言わずもがな、近頃は通夜や葬式も会食などせず帰って来るのが普通になった。

関係者の中には内心ホッとしている人もいるはずだ。

 

お祝いや供養をする立場から言っても、本当に結婚のお祝いしたいのであれば真心込めたメッセージと贈り物をすればいいし、香典だって見栄を張るような金額を包まなきゃいけない理由はあるのだろうか。

私のような貧乏人が心から求めていないものを、社会的にありたがって押し付けるのは半ば劇場詐欺的だとも思う。

 

今年に入ってこういう余計な出費が減ったおかげで、生活の不便に思うことは殆ど無かったが、逆に欲しいものを気兼ねなく買えたり、気の知れた友人数名に多少豪華な出産祝いを贈る余裕ができたりして、私の幸福度は例年より高い。

青森も一時期はスペイン旅行から戻った数名がコロナに感染、保健所でクラスター感染、他県から出張で来たデリヘルの女性が感染、それを利用した25名程のうち警察官の一人が感染するなど、度々どよめくような出来事もあったが、今のところ県内の感染者はほぼゼロに戻ってくれたようで、コロナに警戒しながらも大半の人がそれなりの平常を過ごしている。

申し訳ないが、ド田舎は平和だなと思ってしまう。

 

常識がいっぺんに変わってしまった時代ではあるが、そのおかげか衰退の一途を辿っていた当該ド田舎でも「このままじゃいけない」という空気感ができてきた。

排他的だった小さな集落単位のいがみ合いも、「こんな時代だから」の一言で耳を貸す人も出てきたように思う。

失業(or退職)してきた農家の長男が嫌々ながらも農業に従事して、とりあえず集落の平均年齢が下がりつつあったりする。

コロナ禍でも、悪いことばかりではない。

 

とはいえ、都会に住む誰かの苦悩の分だけ私は平穏に過ごせているのだろうなと思うし、それに甘んじているわけにもいかない。

私には私のできることをしてどこかの誰かに還元しなければ、ただの拗らせたクソ野郎になってしまう。

他人より余裕がある分、仕事を頑張らねば。