彼岸から見た景色

思ったことを適当に描いてみるエッセイ

彼岸から見た景色

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恐山でこれまでの人生を供養

今更だが当ブログのタイトルについて書いておこうと思う。

ちなみに以前は『ゲームコラム・レポート』という名前で運営していて、主に新作ゲームの情報やコラム的な記事を書いていたのだが、そもそもゲームを遊ぶ時間が足りていないため記事もエアプなものしか書けないことに気付き、モチベが無くなって更新を止めてしまったのだ。

今のようなエッセイブログとして再利用するにあたって、今までの記事を全て削除しようかと思ったものの、読み返すとそこそこ読みごたえがあった(当社基準)ので、大半を残したままにした。

唯一ドメイン名だけは前世の名残がある。変えるのも面倒だしコチラもこのままにしておく。

 

さて、早速横道に逸れたがブログタイトル『彼岸から見た景色』について。

サブブログで何かを書くというのは、要はメインブログに適さないものを書くということで、せっかくなら内容もオチもなく、気の向くままPVを稼げないようなを思いついたことを書くつもりでこのブログを始めた。

そして自分の本性を全開にして運営しようと思ったときに、「心機一転」「生まれ変わったつもりで」という意味で、パッと浮かんだ言葉をそのままタイトルにしてしまったのだった。

 

タイトルにつけた「彼岸」というのは三途の川の向こう岸。つまりあの世である。

私は21歳くらいから27歳くらいまでの間けっこう重い鬱病を患ってしまって、数年単位で訳も分からない不安に押しつぶされ、死ぬことばかり考えていた時期があった。

翌日に本当に死ぬつもりだった22歳のある日、高校時代の唯一の友達だったK君と久しぶりに飲みに行って自殺を仄めかしたところ引き留められ、それから数日後に妻と出会いなんとか生き続けてきた。

28歳くらいになってからひとまず平常心で仕事と生活をできるようになって、こないだとある出来事があってから、ようやく自分というものを取り戻せたのだった。

ちなみにその”とある出来事”というのは下の記事で書いているので、興味がある方は覗いてみてほしい。

www.game-column.com

 

そんなわけで、華の20代は死ぬことばかり考えて生きてしまったわけだが、これまで本当に数えきれないほど「ここが始まりだ」と心で呟いて生きてきた。

始めるためには終わらせなければならない。私は「ここが始まりだ」と念じるたびに、今までの私を殺すつもりで必死に生きてきたように思う。

今となっては何をそんなに切迫していたのだと苦笑してしまうが、あの頃にネジが数本抜けてしまったのか、最近は「しょうがなく死ぬこと」を結構受け入れてしまっていて、例えばコロナウィルスに感染して死ぬとか、明日ミサイルが飛んできて死ぬとか、地震や津波などの災害に襲われることとか、「それで死んだら寿命じゃん」ということで折り合いをつけてしまった。

 

一つ例に出すと、先日妻が原因不明の体調不良で緊急入院して、万が一にも死ぬかもしれないなと思ったとき、まだ小さいウチの息子が不憫であることを想像すると泣きそうになってしまったのだが、一方で私の覚悟もある程度できてしまっていた。(夫婦間に愛がないわけではない)

むしろ実家の両親の方が動揺していたのだが、私は「これで死ぬんだったらもう寿命だろ。」と腹を括っていたのだ。

結果的に1週間ほどで妻は退院でき、おかげ様で経過も順調なのだが、思い返せば私は割と自分と身の回りの人の死を受け入れているんだと気づかされた。

 

かつて鬱病が治っていく過程で折り合いをつけていった、ウジウジした思春期的な青さや人生の焦燥感と引き換えに、死ぬことや失くすことに対しての恐れも、知らず知らずのうちにどこかに追いやっていたのかもしれない。

そういうわけで私は結果的に30を過ぎても生きているわけだが、すっかり生への執着が薄くなっていて、心はどこか「彼岸」にあるような感じがするのだ。

これからも心はどこか「彼岸」に置いたまま生きていくのだと思う。

 

これは私の心が死んでいるとかではなく、ドラゴンボールで言うところの頭に天使の輪をつけて飄々としている悟空のイメージに近いかもしれない。

家族や友人のいる地球が滅びようが、強い奴と戦えれば満足みたいなそんな感じだ。

 

”生への執着がなくなった”とは言っても、恐れるものが少なくなった今となっては、今が一番人生を謳歌できているなと感じている。

これは恋愛に似ているかもしれない。恋愛も相手に執着すればするほど自分も相手も束縛してしまい、良好な関係を保ちづらくなってしまう。

生も死も、程よい距離感で付き合うのが人生を楽しむコツかもしれない。

 

脱線に脱線を重ねたが要約すると、このブログはあの世で書いています。ということです。

成仏するまで、あと50年程頑張ろうと思っています。